ツイッター(X)をやめて3年たつ話

2021年の6月あたりから活動休止に入ると同時にTwitterアカウントを消したように覚えていますが、実際のところあの頃の記憶がわりとあいまいで、具体的な日付が残っていないので確かめようもありません。ファンボのおたより機能を使って8月か12月くらいまではなんとか支援者の方へおたよりを送らせていただいてたような気もするので、そのあたりまではまだなんとか気力もあったのかもしれない。

Twitterを消したのにはいろいろ理由はありますが、とにもかくにも3年消してどうなったかというと、一番助かったのは創作にたいする焦りのようなものがとても少なくなったことです(消滅したわけではない)。Twitterをやっている時、特に一次創作を始めて以降に顕著だった心の動きなんですが、前回の絵の投稿から日付があけばあくほど妙な焦りのようなものを頻繁に感じるようになってしまってました。タイムラインにほかの方の更新が流れてくると自分も更新しなきゃ…のような焦りを感じる。これはTwitterから離れてとてもよく実感されたんですが、あそこは時間の流れが異様に速いとおもいます。忘れられる置いていかれるという焦り方をしていたとおもいます。

二次創作をしている期間も短くはないですしTwitterも初期の頃からずっとアカウントを変えつつ使っていましたが、ああいう焦り方をするようになったのはほんとやめる一二年くらい前からかとおもいます。pixivを使っていてああいう焦りを感じることはあったかもしれないがあれほどではなかった。タイムラインという流れの速い川で自分と生きるスピードの違う他者との距離がかなり近く感じられるのに泳ぐ場所が同じ、というのがしんどかったのかもしれない。自分が筆が遅いと感じたことはあまりなく、それにもかかわらずあの流れの速さについていけないことが多かったので、筆が遅い早いに関わらず合う合わないもあるんだろうとおもう。(こういう更新の苦しさのようなものが語られていると反論というか筆が遅い論や評価がもらえないからTwitterやめたんでしょという意見も見ますが、そういう人もいるかもしれないが個人的にはそればかりではないようなきがする。)

そもそもあまりにもTwitterに人が増えすぎたようにおもう。自分が始めた頃はそもそも創作者でTwitterしている人のほうがめずらしく、よくわからない感じの日陰ものアカウントばかり(ディスってはないんです…すきだったんです…)フォローしていた。fkgwさんとかエラーくんとかしりもとさんとかいまTwitterアカウントまだあるんだろうか…。いまはあまりにも人が増えすぎてパリピもオタクもリアルとオンがごっちゃになってしまってそれがぜんぶスマホの一画面で共生を強いられてるさまが大変なことなっているとおもう。こんなのケンカや学級会が起こらん方が難しいとおもう。

昔のTwitterはもう二度と戻ってこないのはわかっているので、(人々のネットにたいする意識も垣根の位置もいまと昔ではぜんぜん違うのでたとえブルースカイがTwitterにいくら似ていようとなかで使っている人々の意識が2024年の現在であるかぎりあの牧歌的な空気は二度と再現ができないだろうということ)今後もしまたTwitter(X)を使いはじめるという時がくればまったくこれまでとは別もののサービスとして接するくらいがいいんだろうなとおもいます。Twitterがだいすきな人間だったのでそれはとてもかなしいことですが、なにごとも変わっていくしもとの状態に戻ることはありませんからね。しかたないね。

というTwitterへのわるくち(わるくち…?)を書いていましたが、Twitterがない生活をやっていてどうかというと、流行りにはことごとく置いていかれ…ているのかもしれません。なにしろ昨日なにがバズっていたかすらもわからないので知らないうちに流行って知らないうちに廃れていっているんだとおもう…。猫ミームがYouTubeのおすすめに出はじめて「ファミチキ食べてたら職質された」とかを見てすげえかわいいぞこれ!って喜んでたらどうもしっかり流行り物に釣られてたみたいでTwitterやってなくても流行りは向こうからきてくれるんだ…とうれしくなりました。あとだいたい創作者はTwitterやっていることが当たり前なのでアカウント持ってない時点でいろいろ不都合がでてきて没交渉状態になります。外界とのやりとりがこのサイトとpixivのコメント欄のみという感じです。しかし意外とみなさんがウェブボやマシュマロを送ってきてくださるのでとてもありがたいことに外界とつながれているという感覚がありますね。ハピハピハッピー🐈🐈

一次創作と二次創作を好きな時に好きなものをやろうとおもえたのもやはりTwitterから離れているからというところが大きい気がします。一次創作のほうにばかり感想やコメントをいただけると(ほんとうにほんとうにうれしくありがたいことでありますが)以前はどうもサービス精神がでてしまって一次のほうばかりを優先して描いてしまうことが多かったんですね。しかしやっぱりわたしもいつも性欲の権化、ちんぽの化身というわけではありませんので、えっちじゃなくほのぼのやシリアスやべつに成人向けじゃないものを描きたいときもあるんですよ。ただそうなってくるとサービス精神が顔を出し、人が喜んでくれるものを描きたいという思念が強まりすぎて、とりあえずえっちな絵を描いておこう、と自分の希望はひとまずおいてすけべに走ることが多々ありました。これを続けていくとどうなるか。はい、結果精神的にも肉体的にもインポテンツになります。インポになって性欲が消えました。自分の絵の何が良いのかわからなくなり、描いた絵をよくできたと見返すことがなくなりました。あるとき嫁をかわいいと思えなくなっていることに気がついて自分がすこし病んでいることを自覚し活動休止せざるを得ないとおもいました。そこから月日がたち、描いた絵を見返すことができるようになって嫁のことがまたかわいいとおもえるようになったことで無事に活動再開できるようになりました。復活まで2年がかかったのでほんとうにサービス精神や他者評価をよりどころにするのはあぶないことだなあと実感しました。違国日記でまきおの同業者の方が「自分だけ作った料理の味がしない」と言っていますがあの言葉がほんとうによくわかります。味がしなくなります。

まあこれはただ自分がSNSに振りまわされる心の弱い人間だったと言ってしまえばそれまでなんですが、それは精神がニュートラルな状態の時に言えることです。わたしたちはべつにTwitterやpixivや個人サイトだけで生きているわけではなく、もちろんプライベートの時間もそれぞれ生きています。そこで心が弱っていたり参っていたり未解決の問題を抱えていたりすると、こういう「たかがSNS(創作)」のすこしのストレスが2倍や3倍の負荷になって重くのしかかってくるものです。なので人にはいろんな事情があるため、どんなにさまつな創作のモヤモヤでもそこにはその人の抱える複雑に絡みあった事情が存在するかもしれない、ということはなるべく忘れないようにはしたいとおもいますね。

自身に関しては現在はずいぶんと状況がよくなってきているのでこうしてサイトを作ったり創作をできるようになりました。やっぱり創作活動はライフワークなので失いたくないという気持ちが強いです。楽しくやれることが一番だとおもいます。いまのところTwitterを再開しないのも、楽しくよろこんで描くために、楽しくよろこんで描けなくなる状況を避けるべく行動する、といった選択の仕方をしている、が正しい表現かもしれません。ま、やりたいなとおもったらやってみるがいいの精神なので、またどこかでTwitter始めたいとなったら始まるし、飽きたらやめるでいいとおもいます。飽きるのもいいことです。

きゅうくつにならない、自分が何をしたいかを1番に考えてあげる、過去の成功を追いかけた自己模倣をやらない(前にウケた自分の小説、前にウケた自分の絵を再現しようとする行為など)、このあたりを意識してやっていればけっこうラクに楽しくお絵かきができます。とにかくきゅうくつはだめ。こうじゃなきゃいけないもだめ。のんびりゆるく、へたくそでも楽しくにこにこやってたら自然と見てくれる人がたどり着いてくれるので、なにも心配せずにやっていきましょう。

なんの話をしていたんだっけ……

昨日たまたまつけた金ローでジュラシックワールド炎の王国がやっていましたね。Twitterやってないとこういう思いがけなさ(やってたら絶対タイムラインで知っていた)にうれしくなっちゃうんだよなあ。生きる上での小さなネタバレがないのは不便であり豊かでもある。

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