全然更新ができてないんですが順調にネームやってます。らくがきできてないのはらくがきよりもネームやってたいくらい楽しいからで仕事と生活が終わったら毎日そればかりやってます。息抜きに鬼滅の映画だけ観に行きました。アクションすっっっっごかったですね……。もう一回観に行きたいが8番出口も行けてないんだよ。
(ここからほとんど読まなくてもいいネームの話)
漫画を描く時はいつもページ数のことを考えながら描いてきたんですが、今回ためしにページ数一切考えずにネームをやりはじめたらどんどんページ数が膨れてって、あと先考えずに漫画を描くとこんなに面白いことになるのかと初めての発見でだいぶ嬉しくちょっとハイになっている。小説は字を綴ったらあと終わりなので(私は書いたあとほぼ推敲をしない方だったので)、漫画は下絵ネーム後にペン入れというものをもう一度全部にしなきゃならないのが小説の数倍時間がかかってペン入れに必要な時間がいつもネーム中も頭にあって、そのために「そろそろこのへんで着地しなければあとでペン入れする己がしんどいぞ…」という考えが原稿には毎回付き纏っていた。でもそれはある意味「逃げ」なので、小説のように「もうあとには戻れなくなってもいいからもっともっと深くまで潜る」という層まで没入ができないのが残念だなあと思っていた。もっとなんかうまいことできないのかなと思ってましたが、何のことはない、あとの苦労度外視で始めればいいだけの話だったんですね…。イメージとして小説作りは帰り道がない一方通行の暗い道を周囲に種を蒔きながらずっとずっと先まで歩いていく(その種が先の道端で花になっているので摘んで歩いて目的地にたどり着く)だったんですが、漫画は行ったら必ず帰ってこなきゃならないもののイメージでした。だからあんまり遠くまで行くと戻ってくる自分がとてもしんどい…。今回このマインドを捨てて、行ったら戻らないつもりでやったので、なるほどこういう気持ちで漫画は書けばいいのかというのがまた一つ勉強になって正直無茶苦茶嬉しいです。漫画描いてる人ってほんとすげえなあ…。行ったら戻れなくなってもいいのである。
小説を書いてる時の感覚に近くなってきているのがもひとつ嬉しいのが、ルート選択がきびしくなってきていることですね。小説書いてる人あるあるかもしれないんですが、なんかしっくりこない展開に進みも悪いので5000字消して5000字描き直したらうまく先へ行く、みたいなのがある。(これは筆がすごい順調な時不調な時関係なく起こる)その喉の小骨をスルーして書き続けると絶対先で消す羽目になる。先で2万字を消すくらいなら傷が浅いうちに消した方がいいので、5000字消して発酵する時間を与えてみた方がいい。こういうのは物語がいきものとして複雑化している証拠なので(細胞が増えていっている)今まで漫画でもちょこちょこそういうのはあったんですが、今回描いた下絵をまるまる消すページ数が多くなってきたため、アア〜〜なつかしい〜いいぞこの積み木を崩してまた積み上げて崩しての途方もなさと喜び…と快感を感じている。だいたいそういう時に納得できなかった展開は未来の自分がウワーッとなっているから現在の自分が違和感を感じている可能性が高い。だからモッタイナイ精神から取っておいてもほとんど使えないことが多い。

こういうことにならないためにあらかじめプロットを作ったり棒人間ネームのような簡素なネームで済ませるんだと思いますが、どちらも向いてないのでいくら時間の消費と手間が多くなろうといまのやり方でやるのが性に合っている気がします。何より目の前でゼロからいきものができて細胞が分裂していく様子を見られるのが一番楽しい…。ワニ嫁もそうですが、物語と一緒に伴走してあげることでどんどんいきものとしての血肉がついてくるので、どんな生物になるか楽しみに走りたい。