※謎空間。
今年は六日までが正月休みであった。せっかくだからということで、両陣営が集まり新年会が催されることとなった。ヤングマガジン本誌も七日まで待機。本誌メンバーもゆっくりできるというものである。
「この席順、どうにかならないのか」
卓越しに助けを求められ、ケンはグラスからビールをすすった。ちなみにまだ乾杯の音頭はない。正面に座る坊主頭を眺めて、刺身に箸をつけた。隣に座る西山が慌てて上座の明に身振り手振りで合図を送る。カンパイ、イソゲ。電報である。
「誰だか知らんが、くじ引きなんだからしゃあない」
「かわってくれ…」
「遠慮しとくわ」
「お、俺たち、これからこいつと戦わなきゃなんねえんだぞ…! わかってくれや」
うめき声を発する鮫島の両サイドに座るのは、くちばしが頭部の半分を占める身の丈三メートル余の男と、仏像そっくりの姿かたちをしたこちらも大男である。鮫島自身もかなり大きな体つきをしている方だが、いまの様子だと側溝にすっぽりはまった猫に近い。
その頭上で金剛と姑獲鳥は会話に花を咲かせている。
「明が…」
「貴様も…」
「そうか…」
「宮本明は…」
「…」
「…」
明談義で盛り上がっていた。
西山は半ば感心するような心持ちで二体の混血種を見上げる。こんな馬鹿でかい奴らを相手に、明はよく頑張ったなぁ。笑いたい気分で火傷のあとを掻く。
「えー、ちょっと人数が多いな…。すでに始めている者もいるようだが、年の始めだ、一応形だけでも」
「形だけとはなんじゃ」
隊長の叱責を明がうるさそうに手で払う。頭が少し痛むのだ。昨晩の夜ふかしが祟っている。
座敷にいる全員の注目を浴び、明は視線をさ迷わせた。右手で口もとを拭おうとして、うまくいかないことに気づく。こういうのは苦手だというのに。
雪見障子の向こうの景色はうす淡い。
「あー…、みんなと一緒に新しい年を迎えることができて、俺も嬉しい。今年も、どうかよろしく頼む」
「おお!」
勝次が待ってましたとばかりに元気な返事をした。明がクッと笑った。明と席が離れてしまい、先ほどから構いたくてうずうずしているのだ。
「じゃあ、雅」
明が座るのと同時に、隣の雅が立ち上がった。
「明けましておめでとう、諸君」
優美な手が自然な、当たり前と言わんばかりのスムーズさで明の頭に添えられた。場が奇妙な緊張に支配されかけたが、明がすかさずその手を振り払う。雅は構わずに続けた。
「私も鬼ではない。今日ばかりは各々の役割を忘れ、思う存分宴を楽しむがいい」
この男の口から出ると、ますます寛げる気が失せてゆく。ひしひしと伝わってくる人間側の思いに気づいたように、雅は微笑む。
明の左手がグラスを持った。
「それでは、始めよう」
乾杯!
「やっぱりこうなるよな」
腕組みをし、幼馴染の姿を遠巻きに眺める加藤と西山の隣に亮介が逃げてくる。
「な、なっ、なんなんですかあれ! 明さんに近寄れないんすけど!」
「諦めろ亮介」
「年末年始の買い物と一緒さ。混雑は避けて行動するのが正しい選択だぞ亮介」
「い、いやいやいや、おかしいでしょ?! あの人たちやばいっすよ」
亮介がピーピーわめいているあいだにも、激戦区の争いは激しさを増している。なんの激戦区か。宮本明へのお酌権利争奪戦である。
「私たち女性陣が先だと思いませんか」
「私もそう思います、ユキさん」
「…」
「なぜ譲らなければならんのだ。お前たちの一人でも、本誌で今明の身を守っている者が居るのか」
「今そんなことが問題かしら」
「鳥類臭い手で明さんのグラスに触らないでください」
「この女ども……」
「気の強い女どもだな」
「……」
苛立ちに羽根を震わせる姑獲鳥にグラスを触らせまいと、女性二人は勝次に明のボディーガードを任せている。
「…勝っちゃん、なんか、あっちから取ってきてくんね…?」
「俺はここで明を守らないと」
「……」
明の首にかじりつく勝次は何者をも触れさせないという勢いだ。グラスを持っていかれた明の左手は卓の上をうろうろする。まだ一滴も飲んでない。
その手に新たなグラスが渡された。
「何がいい?」
「兄貴」
「ビールか」
「あ、ああ」
「…」
「勝っちゃんは初めてだな」
誰?という顔をしている勝次に向かって、明が兄を紹介する。
「俺の兄貴だ」
そう口にする明の表情がわずかにやわらかくなるのを、勝次はじっと見た。
明はその眼鏡をかけた男の人と、自分が見たこともない顔で言葉を交わす。勝次は会話する二人の顔を交互に見た。なんとなく、複雑な感情だ。なんでだろう?
「ふーん。…明よりも強いの?」
「えっ」
意地悪な質問だった。それがこのまっすぐな少年の口から飛び出した。勝次は自分で自分の発した言葉にびっくりした。その子どもっぽさに。それ以上に明の驚いた顔がかわいかったことにさらにびっくりした。
明には予想外の質問だった。
「俺、いや、どう、だろう…」
この時ばかりは勝次も好きな女の子のスカートをめくる男子と同じだった。口ごもる十も年上の男の横顔が、かわいくて、つばが飲み込めなかった。明は困っていた。
ほっぺたにキスでもしたら、どういう顔するんだろう。
勝次の頭をよぎった考えが誰かの頭にもよぎった。それほど明の八の字眉は本当にかわいい、本当にかわいいのである。
篤が明の頬にキスをした。
「うお?!」
遠くから様子を見ていた加藤が叫んだ。
「また篤さん、何かやらかしたのね」
明の悲鳴を聞いた斧神がついに立ち上がった。青山親子と懐かしい思い出話に興じていたのだが、嫁のピンチになにもかもふっ飛んだ。
薄桃色のシャンパンを口にし、冷がのんびりとストッキングの脚を畳に伸ばした。美脚。
「冷、行儀が悪いぞ」
「今日くらいは許してちょうだい」
師匠はまだ続いている弟子の叫び声を尻目に、雑煮の汁をすすった。体が温まる。皆が仲良く、いつもこうして笑っていられたら、世界はどんなにいいだろうか。仮面は卓の上でおとなしく黙っている。
「そのへんにしておけ、篤」
「かわいい弟とのたまのコミュニケーションだろう。器の小さい旦那だな」
斧神が拳を握りしめる音が姑獲鳥にまで聞こえた。
自分も含め、なぜ、我々は父をはじめに、この男にいろんな神経をどうかされてしまっているのか。この男に、むしろ我々は振り回されているのではなかろうか。
「兄貴…、手、手ぇどけて…」
兄の手を拒否することも肯定することもできずに、明は顔を真っ赤にしてうろたえている。篤の手はシャツの裾から入り込んで明の胸のあたりを触っていた。胸のあたりとごまかした。正確には乳首を触っていた。誰にも触っている正確な部位までは見えなかっただろうが、明にはとんでもない羞恥プレイもいいところだった。それに斧神には篤がどこを触っているのか明の反応でだいたいわかる。
斧神が決闘前の雄牛のごとく体から熱を放出しはじめたため、微笑ましくその様子を見守っていた雅が声をかけた。
「まあ、待て。新年早々、野蛮な行いは望ましくない」
お前がそれを言うか、であるが、鮫島兄弟の弟はゆっくりと首を縦に振った。素顔をさらせないながら、ストローでいも焼酎のロックを飲んでいる。
「私にいい考えがある」
「嫌な予感しかしない」
「明、年のはじめといえば…」
明が雅を見上げた。
大変不本意ではあるが、この仇敵に助けを求めるしかないようだ。すがるような視線を腹の立つほど整った白い顔に向けた。なんとかこの状況を脱するセリフを。
「いえば…?」
雅がやさしく言った。
「羽根つきだ」
礼服の懐から取り出されたラケットとシャトル。
「墨もあるぞ」
硯。筆。
「近頃はとんと見かけなくなった。久しぶりだ。存分に勝敗を決めるがいい」
畳の上に出されたバドミントンの道具を一同は黙って見下ろした。
「まさか、やったことがないのか?」
簡単だ。羽根をぽーんと。ついてごらん。しかし、羽根つきの道具でさえも近代化するとは、人間とはかくも横着で飽き性な生き物よ。
2019.1.1
満腹爺戦で斧神が明の青龍刀を持っている明の脳内イメージがあるけども、たぶんあんな感じにラケット持ってくれて周囲が声なく笑い死ぬと思う。