行き先のないボート

※篤明Rー18。ユキ←明、兄夫婦描写あり。性的描写にご注意ください。

 二学期の終わり頃から好きな女子に告白する友だちの姿が目立ちはじめて、なんとなくそういう雰囲気が周りの男子の間にも伝染して流行りみたいになって、しなきゃいけないような空気になった。しなきゃいけない、というわけでもないのに、誰かが告白すると、自分がやったんだからおまえもしなくちゃならない、みたいなムードになってそれに対してイヤだと言えない自分がカッコ悪くて情けない。告白なんて、したいヤツは勝手にすればいいし、好きな子がいないヤツもいるんだから、人のことなんて放っておけばいいんだ。そもそもそんなの人の勝手だ。でも、もれなく自分も好きな女の子に告白する羽目になって俺はとても困った。
 同じ商店街に住むユキは三年生に上がった時にクラスが一緒になって五年生でもまた同じ組分けで、その時に「また明がおんなじクラスでよかった」と言ってくれた。その時の笑った顔が、なんていうか、すごくかわいかった。ちょっと恥ずかしがっているような、照れているような顔。どぎまぎして、おれはうまく答えることができなかったけれど、本当は「おれも」って言いたかった。
 誰にも言えないけれど、最近のユキは、なんだか、どんどんかわいくなっているような気がする。他の男子だって見てる。

「ブルマって、足が寒くて、いやだなあ。思わない?」
「…はかないから、わかんねー」

 それもそうだね、と言って体操服を着たユキはけらけらと笑う。体育の時間で使ったバスケットボールを二人でかごに戻す。
 告白なんて夢のまた夢だ。

「もう告白だなんて、ませてるなぁ」

 ベッドの上に寝そべる兄ちゃんをにらみつけた。おれのベッドの上で寝転がった兄ちゃんは帰ってきてからまだ制服も脱いでない。

「おれがしたいんじゃないよ」
「じゃあ、しなきゃいいだろ」
「だからあ、言ったじゃん。おれだけしないとか、無理なの! みんなやってるの!」
「みんなって誰。ケン坊とか?」
「もういいよ」

 まったく話の通じない兄きだ。勉強机に向き直って、削りたての鉛筆を握り漢字ノートを開く。だいいち、ケンちゃんはこんなこと気にしやしない。周りなんて関係がない。クラスの中で自分が浮いてしまうとか、仲間はずれにされるかもだとか、そんなものはケンちゃんのルールブックにはのってない。いつも自分がやりたいことを、自分がやりたいようにする。あんなふうに、自分のことは自分で決められたら、どんなにスカッとするだろう。それに比べたらおれって。気が小さい。
 兄ちゃんがいつのまにか椅子の背をつかんで後ろにいることに気づいた。振り向いたら、笑っている。

「好きな子、いるのか」
「いない」

 考えるより先に口から嘘が出た。兄ちゃんは眼鏡をかけた目を細くする。

「フラれたらどうするんだ」
「だからいないってば」
「フラれたら、泣いちゃうかも」
「だれが」
「俺」
「なに言ってんだよ、もお。いいから、出てってよ」

 椅子からおりて、にこにこする兄ちゃんの体を両手でぐいぐいと押した。兄ちゃんは背が高くて体が重い。おれも兄ちゃんぐらいの年になったら、こんなふうになれるんだろうか。これぐらいになれたら、女の子と恥ずかしがらずに話ができるかもしれない。兄弟なんだから、そのあたりが似てくれたらいいのに。
 押しても押しても進まないことにむきになっていたら、上から頭を撫でられた。

「兄ちゃんなら、いつ好きって言われてもいいぞ」
「なに?」
「兄ちゃんなら、オッケーなんだけどなあ」
「なんの話だよ」
「フラれた時の話。フラれたら、兄ちゃんと付き合おう」

 口が開いた。兄ちゃんはおれを見下ろして、「いい考えだろ」と言った。名案だといわんばかりの顔をしている。

「なんでそうなるんだよ!」

 その場で地団駄踏んでわめいても、兄ちゃんは嬉しそうにおれの頭を撫でている。やっぱりこの兄きダメだ。

「兄ちゃんモテないから、きっと掘り出し物だぞ」
「もっとヤダ!」

 しかもモテないなんて。それならおれも高校生になってもモテないかもしれないじゃないか。絶望的だ。
 ヤダを連発すると兄ちゃんはますます嬉しそうな顔をする。なにがおかしいんだよ。

 けれどもその時は知らなかっただけで、この時の「兄ちゃんモテないんだぞ」発言が実は真っ赤なウソだったということがわかるのはここから数年後のことだ。兄のモテモテ伝説は弟の俺を閉口させたが、俺が兄の百分の一でもモテていたらこんなに渋い顔とマイナス感情は持たない。ちなみに告白は結局できなかった。ユキの顔を見たら何にも言えなくなってしまうのだった。仲間はずれにはされなかったので、あれでよかったんだと思う。中途半端な子どもの告白大会の雰囲気はあっけなく終了を迎えた。
 「バカバカしいことしてんな」ケンちゃんは男子達の盛り上がり具合に興味が持てないようだった。そのケンちゃんがそれから数年後にユキと付き合うことになるのだから、男子と女子ってわからない。

 そして俺は兄の口にした言葉をすっかり忘れて日々を過ごしていた。兄貴の有言実行の恐ろしさを理解するには俺はまだ子どもすぎたし幼すぎた。兄と交わしたあの会話はいつのまにか詐欺師の巧妙な約束となり俺が中学生の時にブーメランのように時間差でやってきて思春期真っ只中の俺の精神と体をメチャクチャにした。兄貴はこうと決めたら迷いがない。
 ずっと我慢していたが我慢が出来なくなってしまったと兄は言った。
 友達とのやりとりの中で性的な話題が出てくることもある。中学二年生というのは、そういう年齢だと思う。まあ高校に進んでもそれは変わらなかったが(男子ってそういうもんだろう)。しかし兄のやったことに比べたら中学生の妄想なんて吹けば飛ぶ程度の薄っぺらな恥ずかしいフィクションだ。兄は普段の聖人君子な振る舞いからは信じられないくらいに卑猥な言葉を口にして想像もし得なかったような淫らな行為をし俺にそれと全く同じ事をさせてみせ俺の中のフィクションを強制的にノンフィクションにさせた。もう無茶苦茶だった。尻の穴で気持ちよくなるような体になってしまった。

「声、出てる」

 泣きそうになった。そんなことを言われても困る。

「だっ、て、揺らす、から」

 言った先から密着した腰が動かされ、身をよじらせた。濡れた奥を先端で擦られたら、どうしようもなかった。目をきつく閉じて、浴槽の縁を指先が白くなるほど強くつかんだ。
 兄の声が興奮でかすれている。

「もっと動かしても、いいか」

 何度も首を振った。体内にもぐりこんだ兄の性器は硬く、いつもはつける避妊具がないせいで、形から熱から、はっきりと感触が伝わってくる。心臓がうるさく鳴っている。覆いかぶさる兄の胸が背中に触れていることを、意識しすぎてしまう。
 立ちのぼる湯気が浴室内を薄っすらと白くしていた。兄の眼鏡が浴槽の縁の端に置いてあった。洗い場は寒く、それでも全身が火照って、長湯もしていないのに汗をかいていた。十二月だというのに。つい先ほどまでは、寒くて仕方がなかったのに。
 陰茎でゆっくりと奥を掻き回す動きに、声が出た。快感で下半身から力が抜けた。兄の腕が俺の体を支えるように抱いた。俯いた拍子に見えた勃起した自身が透明な先走りを垂らしている。
 一緒に風呂に入ろう、などという言葉がそもそも変だったのだ。

「無理、無理…声出る…」
「ふ、ハハ」
「あ、ぁや、っあ」

 体が揺れた。兄の腰が前後に動き始め、動物的な力強い律動になった。
 腰が尻に叩きつけられる。兄が奥まで入ってくる。

「あ、兄貴ッ…ぁっ、やあっ」
「なか、すごい濡れてるな…。どうした?」
「ヤダ、やだ…!」

 頬が熱く、体じゅうが敏感になっている。交わった場所から粘性のある水音がし、その音が浴室の外に響いてしまうようで気が気でない。兄の性器が、抜かれかけては、深いところまで勢いよく侵入してくる。とろけた肉壁を擦り上げられると、眼球の奥が熱くなる。頭が変になる。
 肉のぶつかる音がする。

「ッ、ぁっ、あ、はっ」

 自分よりも大きな体にきつく抱きしめられて後ろから激しくなかを突かれたら、もうたまらなかった。風呂場のタイルの上で互いの裸足が音を立てた。がくがくと膝が震え、浴槽の縁に手をついた姿勢で、快感によだれを垂らした。
 荒い息が耳にかかる。背中がぞわぞわして、兄の陰茎を締めつけた。

「大丈夫だ。親父もお袋も、まだ店だよ」

 兄の声は笑っていた。俺は、それどころじゃない。
 最奥の細胞をこそげ落とすように、背後の兄が俺の奥を執拗に突いた。内側の肉が一気に濡れるのがわかった。頭のてっぺんまで痺れさせる強い快感が下半身から立つ力を奪った。
 口を塞がれたので、嬌声は兄の口の中に吸い込まれた。

 兄の手や体から与えられる快感は俺の性交渉に対するイメージを大きく変えて間違った方向へと固める原因となった。俺は一人で自慰をしてもどこか物足りなさを感じ、両親が寝つくのを待ち遠しく思っては、気づけば勉強中の兄に跨がって顔を真っ赤にして頼み込んでいる時もあった。兄は俺を毎晩待っていた。兄はいつのまにか就職先を決めていた。卒業したら、結婚すると言った。

「誰と、結婚するんだ」
「お前はまだ会ってない」
「何で、俺が知らないんだ」
「気になるのか?」

 兄の性器がずいぶんとやわらかくなった尻の穴に埋まっていく感触に、たまらず熱い息を吐いた。椅子に座る兄の肩に手を置き、腰を緩やかに落としていく。兄貴の手が裸の腰に添えられた。その手が優しい手つきで、肌を撫でる。性器が肉を擦る。あんまりにも気持ちが良くて、涙が出る。

「ああッ…」

 全部入ると、胸を仰け反らせ、乱れる呼吸を整えた。すぐにでも動きたかった。しかし強すぎる刺激を、どうにか体に馴染ませなければいけない。
 向かい合う兄が俺の服の中に手を滑り込ませ、胸のあたりを触った。左胸の乳首を兄の手がかすめた。衣服がまくられ、むき出しの胸が部屋の明かりの下にさらされた。
 ストーブのきいた暖かい部屋は、よく加湿されていて、兄の匂いがする。安心感に満ちている。部屋に鍵はついてない。
 一時期は兄のことが怖かった。されること、行なわれること、すべてが恐ろしかった。兄の呼ぶ声は俺の体をかたくさせた。そういう時間があった。
 あんなに嫌だった兄の匂いが、どうして今は、こんなに俺の心を落ち着かせるのだろう。

「どこに、行くんだよ」

 兄が胸の突起に吸いつき、俺の乳首を軽く噛む。眉を寄せた。

「俺を置いて、誰と、どこに…」

 そのまま強い力で吸われて、言いかけた言葉が途切れた。身をよじり、反射的に兄の頭を抱きしめた。かけていた眼鏡を兄が外し、机の上に置いた。
 乳を吸われながら、兄の上で腰を振る自分が、何をやっているのかもわからない。兄と繋がっている時は、兄の陰茎に突いてもらうことで頭がいっぱいになっていて、そのことしか、その瞬間は考えられない。兄の形になっているそこを、一番奥まで埋めてほしい。ずっとこうしていたい。
 兄の口が胸から離れたら、唾液が糸を引いた。胸がジンジンする。
 汗のにじんだ額に、兄の手が触れた。温かい手だった。

「妬いているのか」

 兄を見下ろした。笑みを浮かべて、兄は俺を見返した。
 自分の声がひどく低くなった。

「結婚なんか、するな」

 兄と見つめあっている間も、体は兄の陰茎をきゅうきゅうと締めつけていた。俺を見る兄の目から、目を逸らさずに、静かに性器を入り口まで抜く。
 この性器が、俺以外の誰かに入ったのかと考えたら。

「結婚なんか……」

 そこから腰を落として奥まで性器を咥え込んだ。熱くて、硬い感触に、内臓が熱を上げる。息が震えて、肉欲に耐えきれず、また腰を上下させた。
 兄が俺の手をつかんだ。つかまれた手首に痣ができるほどの力で引っ張られた。

 俺が高校一年の冬の朝に兄は結婚を約束した女性とこの家の玄関から出て行って、翌日もその次の日もその次の年も、もう二度と帰ってくることはなかった。一泊二泊程度で帰ってくると言っていた。兄のその言葉は嘘になった。兄はいつも嘘をついていた。いつも。
 本当の言葉を言う日なんてなかった。

(おれは、あんたの本当の言葉が聞きたかったんだ)

2017.10.28

結局二年待たされた。