幾星霜、

 死んでしまったのだと気がついたのは、自分を埋める友が見たことがない顔をしていたからだ。

 男が俺を見下ろしている。
 よく知る男であった。いいや、よく知っているような気がしているだけであり、実際は、そこまで相手の事を知っているわけではなかった。そのような気に、なっていただけかもしれない。どちらにせよ、これから先、顔をあわせることはないのだから、男に関するすべては、自分の中で更新される事はない。これから先も、永久に。
 両手が差し伸べられ、頭部に触った。触られた感触はなく、それを物足りなく感じた。男の指先から手の平まで、土と血でまだらに黒かった。
 掘った深い穴の中で、切り離された上半身が窮屈だった。残った左腕を伸ばし、相手の顔に触れようとしたが、相手にはわからないようで、何も感じられなかった。透明な感触だけが、自分の指先を支配している。
 相手の爪がいくつも割れていることに気づく。

(無茶をする)

 男は俺を見つめ続ける。涙も、声もそこにはなかった。相手が自分と話したがっていることがわかった。自分も、そうしたかった。あと一度でいいから、話をしてみたかった。

 地獄にいくのだろうか。地獄とは、どんなところであるだろう。沢山の命を奪った己れは、間違っても天国へいかせてはもらえまい。
 沢山の人を殺した。化け物を殺した。全部もとは人だった。数多の命を奪った罪は、どれだけの転生を重ねても、消える事はないに違いない。
 自分の魂は、この軽くなった肉体を置いて、一体どこへ向かうのか、それを知りたいと思う。

 男が、握りしめたこぶしを頭上に振り上げる。自分よりも、ずっと激しい痛みに耐えているような表情で、こぶしを震わせている。

(ああ)

 唇を噛みしめていた。泣き出す寸前の顔で、こちらの眼球を見つめていた。今はもう光をうつさない、うつろな目で、男を見返した。
 男がますます顔を歪めた。
 自分にはどうすることもできない。肩を抱いてやることも、声をかけてやることも、できない。慰めの言葉一つかけてやれない。自分はもう、何一つこの男にしてやれる事はないのだと、そう思うと、空っぽの胸をすきま風が通り抜けるように、存在しないはずの体が冷たくなる。
 本当は。この男の為に、自分には、何かしてやれることが、本当はあったんじゃないだろうか。少しでも、この男の力になれる機会が、自分には、与えられていたのではないだろうか。その、与えられたはずのチャンスを、自分はことごとく、潰してきたのではないだろうか。
 この男を、放ってはおけないと、いつか自分は感じ、助けに走ったことが、たしかにある。

 振り上げたこぶしが、のろのろと下ろされ、力なく膝の上にその手が置かれた。丸腰の男は、気力を失った様子で、ただ黙って地面に膝をつき、こわばった表情をしていた。
 その表情を、死体の内側から、見つめていた。見つめていたら、どうしようもなくまた、体が冷たくなる心地がした。
 ふと、男が手を伸ばしてきて、指先でこちらのまぶたに触れた。目を閉じさせられると、知らない間に溜まっていた涙の粒が、ちぎれて、温かくもない雫が皮膚の上を伝うのがわかった。

 友の顔を見上げつつ、自分自身に土がかぶせられていくのは、想像よりもはるかにさみしい気分になることを、初めて知った。今さら知ろうと、遅すぎる。

(知らぬ事ばかり)

 死体はいつか埋まった。生前の図体も、存在していた理由も、見えなくなった。
 明の、うなり声がきこえる。身を切られるような、痛ましい声だ。

 暗闇が訪れた。
 二人から、一人になった。

 死後における肩書きは、一体誰が決めるのか。一体、どこに書き残されるのだろう。どこにも、書き残されることはないのかもしれない。悪行が多いばかりの、人生だったと、そう片付けられるのが、一番いいのかもしれない。

 出来ることなら、己れも、善い者であろうとしたかった。

 うずくまる友の後ろに立っている。
 男の背中を眺めるのは、ほとんど初めてのことかもしれない。いつも自分達は正面から向き合ってきたが、この男に背中を向けられるというのは、何だか不思議な感覚であった。

 墓石を見つめる男の背中を見つめ続ける。
 こんなふうに二人でいるのは、懐かしかった。

(泣くことはない)

 叶うならば、いくらでも言ってやりたい。
 しかし、それはただの自己満足でしかなく、今となっては、友の涙ひとつ止めてやれない自分の無力さを、実感させられるばかりだ。

 地面に落ちた涙の雫が、そのまま自分のものになった。涙は水となり、向かうべき彼方へと旅するための、自分の命綱となった。

「俺も、また会いたい」

 水は塩辛い。

「話が出来る日を、待っているよ」

 男の頭に手を置く。

 足音が近づいてきたが、男は顔を上げずに、墓石を目に焼きつけていた。一人ではなくなったのを確認した後、その場から立ち去った。

 残していくのは、気がかりだった。
 それでも、路は照らされている。お前の涙が道を照らす。一人でも構わない。歩こう。何処まででも。いく百年、かかっても。

 そしてお前に会いに向かおう。

 いつかのお前と、話をしよう。

2017.5.11

君はともだち。