※注意!
・原作の時系列とは異なる現代パロ
・雅明でいい夫婦の日
・キャラ崩壊注意
・ほんのり篤×明要素がある
・腐女子の妄想、都合のいい捏造、なんでも許せる方向け
・性的描写にご注意ください
・いい夫婦の名の下にほんと好き放題しています… 雅明ならもうなんでもいいよという心の広い方はスクロールどうぞ!
どちらが夫でどちらが妻か、べつにはっきりさせなくともよいとの考えの男とは、考え方も、育ちも違う。曖昧な答えに納得がいかず、じゃあ世帯主はどちらにするのかと訊くと、
「お前がなりたいのか」
「べつになりたいわけじゃ…。…ていうか、なるならないで決めるもんかよ」
「なら私にしておけ」
あっさりとした答えが返ってくる。何日も前からうだうだと悩んでいた事柄がすぐに仕分けられ、明確な答えが目の前に放り出されると、どんな反応を返せばいいのかがわからなくて、つい口を噤んだ。籍を入れた後からずっとこんな調子だ。
そんな俺の様子に、男は何やら思考を巡らせている顔つきで、読みかけの単行本を閉じた。椅子に腰掛けたまま、足を組み替え、立ち尽くす俺を見上げた。
「明」
俺が何も言わずに黙っていることに、男が首を傾けた。視線を合わせたくなくて、男に見られないように顔をそらした。
白く大きな手が閉じた本をテーブルの上に置いた。男がゆったりと椅子の背当てに背中から寄りかかった。穏やかな呼吸に合わせ、見た目よりも本当はずっとぶ厚い胸板が上下していた。
「どうした。はっきり言え」
「…俺は、相談して決めたかったんだ」
俺の言葉に、男が驚いた表情で眉を持ち上げ、軽く両手を広げてみせる。
「しただろう。今」
「俺の質問に、あんたが答えただけだ」
「明」
名前を呼ばれ、腕組みをしたまま男を見下ろした。
室内は明るく暖かく、よく加湿されており、過ごしやすい環境に整えられた部屋は、屋外の寒さや乾燥とは無縁の生活に思えた。実家の俺の部屋から持ってきた石油ストーブだけが時代遅れで、部屋の真ん中で肩身が狭そうに広い室内を頑張って暖めていた。
ダイニングの明かりの下で、男は膝の上で両手の指を組み合わせ、俺の仏頂面を眺めた。しばらく見つめあったのち、片手を上げて男の方が先に椅子から立ち上がった。
「やめておこう。先に寝る」
「なんだよそれ。俺のわがままだって、そう言いたいのかよ」
寝室に向かおうとする背中に声を投げつけた。普段はワイシャツのカラーで締めつけられている太い首が、インナーシャツの襟から出てあらわになっていて、男が俺を振り向くと首筋から鎖骨にかけての筋肉が動いた。
「そうは言ってない」
俺の目を真直ぐに見返し、男が強い調子で口にした否定の言葉に、ぐっと自分の言葉を飲み込んだ。
結婚してから一ヶ月が経ち、俺たちの住むマンションに兄貴がやってくるのもこれで八回目だ。兄貴が来る時は決まって雅が不在の昼間の時間帯で、電話で俺がいることを必ず確認をした上で、手土産に菓子やケーキを買ってくるのだ。年の離れた弟のことがいまだに心配なんだろう。
「仲良くやれているか」
熱い茶を淹れ、ソファーに腰掛けた兄にそっと湯呑みを手渡した。サンキュ、と笑顔で兄の手が湯呑みを受け取る。眼鏡の奥の目が優しく細められ、手渡した後も俺のことをニコニコと見てくるので、気恥ずかしいったらない。
「そんなに見ないでよ」
「いや、えらいなと思って」
「このぐらい、するよ」
妻なんだから、と頭の中で自分の声が響き、それが思った以上にしっくりときたもんだから、慌てて一人首を振った。昨晩の話を俺はまだ認めたわけじゃない。
「あいつに何か、不満だったり、嫌なこととか、ないか」
わりと遠慮のない口調で兄が言うので、苦笑いをして自分の湯呑みから茶を啜った。兄貴は雅のことが嫌いなのだ。淹れたてのお茶は熱く、濃く、苦くて美味しい。
実家の店先に立つ俺に一目惚れをした雅がその場で交際を申し込んできたのが一年前。結婚に至るまでの実際の交際期間は半年にも満たない。それが短すぎるのか、妥当なのかは、交際経験の少ない自分にはよくわからなかった。ただ兄貴には、俺たちのその進み具合が性急に思えたようで、顔を合わせるたびに雅との衝突が絶えなかった。
毛の柔らかい絨毯の上にある脚の短いテーブルは、兄貴が結婚祝いにとくれたものだ。木製で、重心が低いどっしりとしたテーブルは俺の好みだったが、おそらくかなりの値段がしただろう。が、怖くて金額の方は聞けなかった。
兄貴は空になった湯呑みを手にしたまま、ベランダから見える窓の外の景色を眺めていた。緊張が解けない心で、その横顔を見つめた。親族の誰もが賛成したこの結婚に、最後まで反対していたのがこの兄なのだ。
「なあ、明」
「ん?」
こちらを振り向き、兄が何とも言えない、微妙な顔をした。
「俺が先に結婚しちまったから、居心地悪くさせたわけじゃないのか」
兄の言葉に、否定よりも先に驚きが声に出た。
「ばっ…兄貴、何言ってんだよ」
「バカって言おうとしたな」
「だって、だって兄貴が、あんまり変なこと言うから」
驚きのあまり立ち上がってしまった俺を、兄貴は眩しいものでも見るような目で見上げてくる。その目で見られるのは苦手だった。けれど、今さっきの申し訳なさそうな顔の方がもっと苦手だ。
真冬の午後の日差しが降り注ぐ中、兄貴に手を取られ、可愛いくてたまらないといった目で見られていることが、本当に本当に恥ずかしくて、いやでたまらない。こんなところをあいつに見られたら、羞恥心で死んでしまうぐらいにはダメなやつだ。
涼子さんとの結婚を機に実家の跡を継いだ兄貴は、店の経営のことや家族のこと、涼子さんとの時間など、結婚前に比べて一層様々なことで生活が忙しくなり、その中で俺と接している時間なんて持てるはずもなかった。なので兄の結婚後は、ろくに兄弟で話す機会も、ましてや遊びに行ける時間などなく、兄の結婚後、俺の存在は家の中で、ますます孤立したような空気感になってしまった。兄貴はそれが申し訳なかったと言っているのだ。
湯呑みや急須を洗い終え、先ほどまで兄が座っていたソファーにごろんと仰向けに横になった。ベランダの外の空気は薄く青みがかり、下方の街の灯りを際立たせるようにして、雲の向こうから濃い夜がやってきていた。仰向けの姿勢のまま、両手を頭の後ろで組んだ。
居心地が悪いと思ったことは、正直あった。あったが、それを兄に気にしてほしくはなかった。実家を継ぐために必然的に結婚後はこちら側の両親と同居することになっても、奥さんの涼子さんは明るく朗らかで、義理の弟にあたる俺にも気兼ねせず接してくれた。両親よりも、兄夫婦の方がよほど俺に構うことが多く、そのおかげで兄の結婚後も俺は一人暮らしをせずに済んだ(一つ屋根の下で新婚夫婦と寝食共にするというのは、若い男からすれば並み大抵のことじゃない)。
それでも、やはり居心地が良くなったわけではなかったので、講義がない時間にはアルバイトの掛け持ちをして、家に帰れば小説を書いて書いて書きまくった。大学の在学中に明確な結果を出し、卒業後は自立した暮らしが出来ればと思った。幼なじみたちと遊ぶ時間も惜しんでペンを離さない俺に、時折兄が心配して声をかけてきたが、適当なことを言ってしまえばよかった。兄貴のことが嫌いで家を出たがっているわけじゃない。それが互いに伝わっているからこそ、兄は強く言ってこなかった。それがこんな結果を招いてしまったと、兄はおそらく自分を責めているのかもしれない。
体を触られたような気がして、ぼんやりとした頭で起き上がった。
窓のカーテンはきっちりと閉められていた。自分のいるリビングは暗く、キッチン側の電気が点いており、カウンターの向こうで動く白い頭が見えた。ソファーから床におり立ち、リビングからダイニングを横切った。
「おかえり」
声をかけると、男がこちらを振り向いた。少し驚いた表情で、俺を見下ろした。
「起きていたのか」
「今、起きた。何探してる」
いや、と男がめずらしく口ごもる。上着を脱いだだけで、男はスーツ姿のままだった。ワイシャツの袖をめくり上げ、何かを探していた様子で、中断させてしまったようだった。
首を傾げ、男を見上げた。白い髪の毛が俯きがちのひたいを隠していた。俺の視線に、男が目をそらす。ますますめずらしい。いつもならこいつは絶対に目を逸らさない。
「何でもない。気にするな」
「…フーン」
気になったが、追求してほしくなさそうな空気が体じゅうから発されていたので、そこでやめておいた。壁の時計を見ると、かなり遅い時間だった。訊くと食事はまだだと言う。兄貴が来る前に作っておいてよかった。
舌が肥えているだろうに、男は俺が作ったものを何でも文句言わずに残さず食べる。家事もろくにしてこなかった俺の料理の腕など壊滅的であるはずだが、男が我慢して食っているのか、単に味音痴なのか、好き嫌いを申告してくることもなく、相手はテーブルに出したものをただ黙々と口に運ぶだけだった。それはそれで上達しないのでまずいのだが、感想を求めてもろくな答えが返ってこない。まるでロボットみたいだ。食事に楽しみを見出してないのか。
「ご馳走様」
「…お粗末さま」
今日も残さずきれいに空になった器をさげる。俺が食器を洗っている間、男はダイニングテーブルに向かって、昨日の続きの本を読み始めた。
リビングに一台きりあるテレビは沈黙し、引っ越してきてから午後以降につけたためしがない。朝のニュースを見るぐらいだ。それさえ、男は耳で聞くだけで目は新聞の紙面を追っているのだから、この家にテレビは要らないような気がする。
俺が食器を洗う水の音と、器がぶつかる音以外は、静かで、穏やかな時間が流れていた。男は黙って読書に勤しんでいるようだった。
(昨日のことは、ひとまず忘れたんだろうか)
会話も違和感なく行えたので、そこは少しホッとした。二人きりの生活であまり気まずい空気になると、修復するのが難しいのだ。洗い終えた最後の一枚の皿を食器乾燥機に入れ、スイッチを入れる。
湯張りのボタンを押して浴室から戻る俺を、携帯電話のメール音が呼び止めた。どこから鳴っているのかと思えば、朝から寝室に置きっ放しにしていたらしい。どうりで静かだと思ったはずだ。薄暗い寝室に入り、枕元の携帯電話を手にしてメールを確認した。
仕事の内容がほとんどだったが、一番上の兄からのメールが新着マークをつけていた。
『今日の話は忘れてくれ。変な気をつかわせて悪かった。また様子見に行く』
絵文字も顔文字も使わない兄のメールは素っ気なく、ぱっと見愛想のない文面に見えるが、兄がどんな気持ちでこの文章を打ち込んだかがわかる自分には、読んでいて暖かい気持ちにしかなりようがなかった。携帯電話を持つ手がくすぐったくて、思わず顔がほころんだ。返信を打とうとした、その手を上から握られる。顔を上げる。
とても近い距離に男が立ち、俺の表情を見下ろしていた。携帯電話のディスプレイが暗闇に発光している。
「……兄貴だ」
訊かれる前に言った。驚きに胸がばくばく鳴っていた。
廊下の明かりが開けたドアの形で室内に伸びていて、暗がりに男の白い肌と白い髪の毛が目立った。携帯電話のディスプレイを確認する男の顔は無表情で、握った俺の手を掴んだ状態で離さない。手に意識が集中する。
「雅」
小さな声で、男の名前を呼んだ。男が俺の顔を見たのがわかった。俺は携帯電話を持つ自分の手、さらにその上から重なった男の手を凝視していた。俺の手よりも少しばかり大きな白い手は、見た目通りに指先まで冷たかった。
視線の痛さに黙っていたら、間をおいて、すっと掴んでいた手が離れた。息をついた。男の顔をこわごわと見上げた。
口づけられているのだと気がついた時には、背中に回された腕がしっかりと俺の体を抱いていた。
「っ、ぅ…」
片方の手に顎を掴まれ、噛みつくようにして、何度も強引に唇を合わせられる。離れようと、相手の胸に手をついて力を入れた。薄く開いたまぶたの下から赤い眼がのぞき、抵抗する俺の姿を、男が見つめていることがわかった。
顔が近い。鼻先が擦れ、濡れた舌と舌が絡まる。自分の口からこぼれる息がめちゃくちゃに熱かった。押し退けようとした手を相手の手が押さえ込んだ。冷たい指に反して男の舌は火傷しそうなほどに熱く、口の端から溢れ出た互いの唾液にまみれた薄い唇が、薄暗闇のなかで執拗に俺の唇をもて遊んだ。
携帯電話が手から滑り落ちたことにも気がつかず、二人で無言で攻防を繰り返す。キスを続けながら、もつれるようにしてベッドに移動する。
「は、はっ…」
体が火照り、背中にうっすらと汗をかいているのがわかった。インナーシャツをまくり上げられ、胸の突起に吸いつかれる。濡れた口に含まれると、感覚がより鋭敏になる気がした。舐める舌の動きに、たまらず両足を覆いかぶさる男の腰に巻きつけた。
男女のやり方さえもろくに知らない俺に男が教えたのは、抱き方というよりも抱かれ方だった。口数が特別多い相手ではなかった為、教えはひたすら実践あるのみだった。
男同士での性行為に内心恐怖を感じていた俺は、自分が女役をやらされることに対して、当たり前だが腰が引けた。男はこの点に関しては曖昧な答えにせず、決して譲ろうとはしなかった。かと言って俺も行為そのものが怖かったので、二人まともにことに至るまでは、相当な時間がかかったように思える。
女役を了承した理由としては、逆に俺が男役をしたとして、性行為に慣れていない自分が相手に怪我をさせることを考えると、それもそれで恐ろしかったからだ。そこを考えると、男の方がこの点については慣れているようであったし、まあ、言ってしまえば最終的には考えることが面倒になったのだ。痛くしないでほしい、それをただ一つの条件に、俺はベッドの上で下にまわることを了承した。
教えているわけではない、と相手は言った。いわく、俺の体に「覚えさせている」とのことだった。籍を入れる前から始めた「勉強」は徐々に内容を濃くしていき、結婚直前の時期には熾烈を極めた。
「もっとゆっくり、挿れ、てくれ…っ」
「無茶言うな」
しがみついた男の背中はうっすらと汗をかいていた。散々慣らされた場所に、硬く充血した陰茎が押し入ってくる感触に、思わず涙声になる。優美な眉をしかめ、男がこちらを見下ろしながら口角を持ち上げた。獰猛な笑みで、凄まじい色気を漂わせている。
肉壁を擦りながら、挿入された陰茎が奥まで一気に突き入れられ、悲鳴じみた声が出た。背中を電気が駆け抜ける。
「あっ、ツ…」
溶かされて敏感になったなかを犯す雄は硬くて、太く、その存在を主張するように熱く脈打っていた。突き入れられた衝撃で、頭の中がチカチカと白く点滅する。陰茎がずるりと引き抜かれる感覚に、シーツの上で腰が小刻みに震えた。
激しい交わりに、揺さぶられながらベッドの上で交尾中の猫のように嬌声を上げ続ける。男が乱暴ともいえる動きで腰を突き入れ、なかを繰り返し擦り上げてくる。とろとろに溶けた内側をしつこく擦られたら、もうたまらなかった。
「ァッ、あっ、あぅっ」
腰をくねらせ逃げても、強い力でますます勢いよく結合部に腰をぶつけられる。性急な動きで陰茎が奥までもぐりこみ、肉をかき分けるのが頭がおかしくなりそうなほどに気持ちがいい。男の腰に巻きつけた両足をきつく締めつけ、腿を擦りつけてしまうのは、もうほとんど癖だった。
「やだッ…ぁ、あっ」
肉がぶつかる音が響いて生々しく、耳を塞ぎたいほどそれがいやらしかった。それと同じぐらいに結合部からもれる濡れた音が淫らで、否応なく互いが交わっていることを意識させられる。
充血した自身の陰茎が揺れる動きに合わせてみっともなく跳ね上がり、何度も自分の腹にぶつかった。直接触られてもいないのに、ぶつかる度に先走りが散るほど先端から溢れさせていた。男の視線を感じていたが、それどころじゃない。
正常位は男が二番目に俺に覚えさせた体位だったが、俺は本当のところこの格好が苦手だった。男は性交の最中に、俺の顔ばかりを見る癖があって、それがとても嫌だった。よだれを垂らし、みっともない顔をさらして喘いでいるのが恥ずかしくてしょうがなく、快感が表情に出ない男に比べて、俺ばかりが不公平であると思う。見ないでくれ、と言った回数は数え切れないが、それが聞き入れられたことはない。
前立腺のあたりを突然速いペースで突かれ、喉を鳴らしてのけぞった。きゅうっ、と下腹部が疼き、雄を受け入れた場所を締めつける。身体の奥を暴かれる強い快感に、断続的に声がこぼれた。
「ぁあっ…雅ッ…」
男の名前を呼んだのはほぼ反射だ。男が返事をすると同時に、さらに勢いを強めて俺の体を揺さぶった。否定と肯定が交互に口からあふれ出て、自分が何を言っているのかがわからなくなる。度を越した快楽にポロポロとこぼれ落ちる生理的な涙を、男が端から吸い取った。
「もっと呼んでくれ」
そう呟いた男の声がかすれていた。
「明」
白く長い指が待ちわびた自身に巻きつけられ、悲鳴の形に口を開けた。その唇にかぶりつかれ、激しいキスに追い立てられるようにして男の手の中で射精する。射精しながら、男の頭を両手で抱き寄せている。みやび、と言った声が互いの口の間で泡立って唾液で混ざり、男の舌の上に甘く染み込んだ。この時だけは菓子みたいに甘い名だと思える。
「なあ、何が気に入らなかったんだ」
不要だと言う男の体ごと一緒に毛布をかぶった状態で、すぐそばにある顔に問いかけた。男は目を閉じて、行為の後はいつもそうであるように、動くのも面倒といった空気を出して黙って俺を腕に抱いていた。眠っているのかと思えるほど静かな呼吸で、それでも男が絶対に起きていることがわかっている俺は、少しでも暖を取ろうと男の体にぴたりとくっついた。しかし相変わらず、俺の方が体温が高い。
男との行為の後は、全力を出し尽くすせいか何もする気にならない。まぶたとまぶたがくっつきそうで、わんわんとあくびをした。もう随分遅い時間になってしまったが、このまま寝てはまずい。裸のままだし、風呂に入らなければならない。お互いにひどい有様だ。
でも、ああ、眠い。眠くてたまらない。
「ーーおい、寝るな」
「……」
「明」
ハッと顔を上げた。よだれが糸を引いた。男が俺の顔を見ていた。寝そべった体勢のまま、ぼやけた頭で口元をぬぐった。どうやら、男の肩によだれを垂らしていたらしい。
「ごめん」
謝りつつも、またもやまぶたが落ちそうになる。男の指が俺の口を触った。
次に目を開けたら、浴槽の中で肩まで湯に浸かっていた。
湯の中でゆらゆらと揺れる自分の手を、ぼんやりと見つめた。今が何時頃で、どのぐらいの時間が経っているのかがわからず、少し腹が減っていた。自分の足と並んで伸びた、骨の太い色素の薄い足に、男の胸に背中から寄りかかっていることがわかり、そこでようやくゆっくりと息を吐いた。俺が目を覚ましたことに気がついた男が、湯の中で俺の腰に手を回した。
蒸気で満たされた浴室に、男の気配が充満していて、湯の温度が心地よく、密着した体に不思議なほど安心した。睡魔がしばらくの間そばを離れなかったが、今度は眠らないように努めた。おかげでなんとか溺れ死なずに済んだ。
何とか出来上がった原稿をメールに添付して、送信ボタンをクリックした。送信処理が行われている間に携帯電話が鳴った。
「もしもし」
ノートパソコンの画面を閉じながら電話をとる。間をおいて聞こえてきた電話口の声に、思わずつい笑ってしまった。
あの時、キッチンで男は探し物をしていたわけじゃなかった。いや、正しく言うと探し物ではあるのかもしれないが、簡潔にいうと、それはゴミ漁りだった。
あの日兄がいつものようにどこぞやで買ってきた洋菓子の、その店の名前が知りたくて、兄が帰った後に俺が捨てたはずの箱と袋を確認していたらしかった。男には兄が訪れる事を、あらかじめ伝えている時もあれば、伝えていない時もあった。あまり明確な反応が返ってこない為、てっきりどちらでもいいのだと思っていた。兄貴も、これは意地が悪いというよりかは意図的になんだろうが、菓子を買ってくる時には必ず自分と弟の分しか買ってこなかったので、俺も積極的には兄貴の来訪について話そうともしなかった。それについて男が何かコメントしてくることも、今まで一度だってなかったのだ。
それなのに。
「何だよ。どうしたんだ、これは」
あの日、兄が来訪した翌日、帰宅した男が手に持っていたのはやたら大きな箱が入った袋だった。玄関で俺はその袋を手に押しつけられた。見た目よりも、箱はずっしりと重たかった。
「やる。気に入らなければ処分していい」
「処分って…。何入ってんだこれ」
着替えに寝室に向かう男を追いかけながら訊いたが、何も答えてくれなかった。寝室から閉め出され、箱を両手で持ったままドアの外から文句を言った。
「勝手に開けるよ」
明るいリビングのテーブルの上で、飾り気のない箱を開けた。中身は、箱から予想した通りケーキだった。
「しかもホールかよ…」
俺が知るかぎり、男は甘いものをろくに口にしたことがない。つまりこれは、自分が一人で食べ切らなければならないということだ。
綺麗に等間隔で苺が並んだショートケーキを見下ろし、その時は、また男のはた迷惑な気まぐれなんだろうとうんざりした気持ちにもなった。理由に気がついたのは何日も後になってのことだったから。
「頼むから、次はカットケーキにしてくれ。わかるか?カットケーキ」
俺がからかっていることに、電話の向こう側にいる相手がやや不機嫌な声になる。笑っていると、「帰ったら、覚えておけ」と言われ、電話を切られた。電話を切られた後も、しばらく一人でニヤニヤしていた。なにしろ、あのホールケーキは腹にこたえた。兄のこれまでの選択とかぶらないよう、隠れて俺の好みを探し出すのは時間がかかっただろうに。
外出の為に服を着替えている最中に、今度は兄貴からの電話が鳴った。内容はいつもと同じだ。携帯電話をスピーカーにし、上着を羽織る。今日は一段と冷える。
「いつでも帰ってきていいんだからな、明」
ベランダから見える景色は冬らしく、すべてが色をなくしたような感じで、それでも太陽は暖かい日差しを建ち並ぶビルの間に注いでくれていた。クローゼットから男の予備の襟巻きを借り、首に巻きつけた。
「大丈夫だよ、兄貴」
部屋じゅうの戸締まりをして、携帯電話を耳に当てたまま、鞄を持って靴を履く。電気を消して、玄関を開けた。
「俺はもう、妻なんだから」
そう言って午後の陽の下、暖かい格好で家を出た。
(サンクス!)
2016.11.27