愛を試してみたくなる日もある。些か一方的な愛だが。
「果たしておまえは、私たちの違いを認識しているのか。そこを訊いてみたいわけだ」
「あ、阿呆か!」
明の声に三体の吸血鬼どもは顔を見合わせた。両腕を後ろ手に縛られ、なんとか拘束を解こうともがもがしている明に兄が声をかけた。
「明、大丈夫だ。心配するな。俺たちは、少し確かめたいだけなんだ」
「…何を?」
「おまえがきちんと区別しているのかどうか」
誠実そのものといった声色で弟に言い聞かせる横顔を、斧神がじっと見つめている。親しみを込めた手で弟の肩を撫でているが、眼鏡の奥の目が笑っていない。助けを求めるように明が斧神を見上げた。
斧神は動かない。
「ただの確認だ」
「待て、もう一度言ってくれ。な、何を、確認するって…?」
「おまえが、その時の相手を区別できているかどうかだ」
「………待て、待て、意味がわからない…」
「今にわかる」
斧神の言葉が終わるのを待たずして、篤がポケットから布を取り出した。ハチマキみたいに縦に長い。明は兄の手を凝視した。
「兄貴、何すんの」
「目隠ししておかないと、意味がないからな」
「え…は…、えっ?」
口もとにのんびりとした笑みを浮かべて、床几に腰掛けた雅は手の甲にあごを乗せて待っている。明が尻を使って後ずさった。
「兄貴、待て、なあ、待って」
「怖くないぞ。ちょっと、見えなくなるだけだからな」
「ちょ、やだ、うわ、待ってマジか」
マジだ。篤が笑い半分につぶやき、もがく明の目を正面から器用に覆った。あっという間だった。黒っぽい、すべすべした布が明の目を塞ぎ、兄を説得する間も与えられずに二秒で明の視界は奪われた。
これで明の両手と目が封じられ、三体の吸血鬼を前に丸腰で座っている状況が作られた。
驚きで現実味がない。
「嫌だ、これ、」
明が前屈みになった。体勢が崩れて前へと倒れ、木の床の上で不自由な体が転がった。
におい、感触、音はわかる。そこに何者かが居るという気配も感じる。両手が封じられてさえいなければ、目が見えずとも、空気の揺れから背後に立つ敵ですら両断できる男だ。
「兄貴…」
しかし、見えなくなるということの心許なさから、正面に顔を向けていられなかった。明は無意識のうちに、動物的な本能から自然と首と頭を守るために丸まろうとしていた。縛られた両手と体の隙間に手を差し入れ、斧神がその体を起こした。明が悲鳴をのみ込んだ気配が伝わった。
山羊の鼻先が明のうなじに触れた。明にも、それは男の被り物の鼻だとわかった。不安を和らげようとしている。
「気にするな、いつも通りだ」
「いつもこんなことしてて、たまるか…!」
斧神の低い笑い声がやさしく鼓膜に流れ込み、明の腰がぶるっと震えた。目が見えないぶん、声が直接情報として明のイメージを形作る。使えなくさせられた目をカバーするために、耳がより鮮明に音を聞き分けようとする。
篤の手が明の首に触れた。明の口から小さく悲鳴がもれた。何もないところから突然手が出てきたように感じられる。
「どちらでもいい」
雅の穏やかな声が明の耳に届く。
「少し気をしずめてやれ」
篤が斧神を見た。斧神は明の縛られた両手に手を置いたままだった。山羊の視線を受けとめるのを待たずに、篤がものも言わずに弟の口を塞いだ。
明の肩が跳ねた。
篤が弟の口内を味わう時、実の弟へ対する興奮や欲望とは別にして、まるで家に帰ってきたかのような安心感が全身を満たすのを感じる。閉じようとする唇を強引に割り、逃げる舌を追いかけ、絡めとり、腰を抱きすくめて口内を搔きまわしている時も。身をよじる弟の体を両腕で拘束し、全力で弟を貪りにかかっている時でさえ。気をしずめてやるどころの話ではない。
明はずっと小さな声でやめてと言い続けていた。誰も止めなかった。
ここにいる男たちは、全員が目の前の男の唾液の味を知っている。
耐えきれず、振りきるように口を離した明の目が篤の顔の位置を見た。布の下で、酸欠で黒目が焦点を失いかけていた。兄の名前を呼ぼうとして、舌がうまく動いていなかった。
後頭部に回った手が明の頭をふたたび引き寄せた。兄弟で激しいキスが繰り返された。両手の縄を懸命に解こうともがく明の意識を、篤の舌が容赦なく踏み荒らす。
「おとなしくなった」
雅が面白そうにつぶやいた。
解放された後、明には体を支えていられる力がなかった。ぐったりと篤に体を預け、すっかり発情させられた全身からにおいをさせている。
「俺だとわかっていたな」
篤は嬉しそうに笑みを浮かべた。明には見えていない。それでも明には、兄の声だけで、兄がどんな表情でいるかがわかってしまう。
「…」
明の眉がぐっと八の字にしかめられ、汗で湿った額が篤の肩に押しつけられた。そのうなじに、背後からべつの男の手が触れた。
今すぐ、この目隠しをとってくれ。
明が背後の男に囁いた。斧神と、篤にそれが聞こえた。
「駄目だ」
斧神の声が笑っていた。
瞬間、明の両手が左右に縄を引きちぎらんとした。上腕の筋肉が盛り上がり、手首を拘束する縄が悲鳴を上げた。
においも、味も、舌の動かし方、唇の厚み、触れ合う鼻の高さ、そんなものの一つ一つが、暗い視界ではっきりと輪郭をあらわにする。目を塞がれたことで、流されるままでは気づかなかった部分に、意識の先が向かっていた。確実にいつもとは違う。ただ見えないということだけで。明の頭は兄の存在でいっぱいになっていた。怖かった。
あと二人いる。
自分が何を口走るかがわからない。
「次」
雅が言った。縄はかたい。
2018.12.29
この後それぞれの味ややり方の感想を聞かれてうまく答えられずにべそをかく明でもう一周チャレンジ。