スクエア 4

※注意
・篤、斧神生存ルート
・篤、斧神ともに交戦済み設定
・明が吸血鬼軍に捕まって雅に飼われています(本土未上陸)
・蚊は本土にばら撒かれませんでした
・明の右手も健在
・師匠は邪鬼になっていません
・腐女子の妄想、捏造、何でも許せる方向け

 子供の頃から、泣いているといつも兄貴がそばにきてくれた。親に怒られた、友達とケンカした、転んで怪我をした、怖い夢をみた、お気に入りのゲームをなくしてしまった、などなど、上げていけばキリがないが、今思い返してみると泣くほどでもない理由がほとんどだ。俺と兄貴はわりと年が離れていたから、当時の兄から見れば中々にしようもない理由だったんじゃないだろうかと思ってしまう。
 それでも兄貴は毎回、泣き続ける俺をなぐさめ、叱咤し、時に励ましつつ、年の離れた弟のことをかまってくれた。同年代の友人たちと遊びたい年頃でもあっただろうに、兄貴はまだ小さかった俺の面倒をよく見てくれたように思う。あの子供時代がなければ、俺はもう少し違った性格の人間になっていたはずだ。少なくとも、行方不明の兄を探しに仲間達と得体の知れない孤島に向かうような、そんな人間にはなっていなかっただろう。

 玄関からもれ出すぼんやりとした黄色い灯りによって、おもての道には門の横幅分、道のような光の筋ができていた。その光の間からヌッと現れた山羊のシルエットに、余計に涙があふれ出して止まらなくなる。
 門の下をくぐった斧神は周囲を見回し、すぐに俺の姿を見つけたようだった。地面を踏みしめる足音が近づいてきて、俺のすぐそばで足が止まった。夜空は晴れ、あたりは静かで、ずっと絶えず虫の声がしていた。

「どうした」

 次から次へとあふれてくる涙を手でぬぐいきれずに、羽織の裾で顔を覆った。震える喉から嗚咽がこぼれた。兄が恋しくて、恋しくて、胸が張り裂けそうだった。さっきまでこの手で抱いていたはずの体温が自分のもとから離れていったことが、腹の底から悔しくて、まるで置いてきぼりにされたようだ。事実そうなのだと思った。

「明」
「うっ、ぐ、ぅっ、ひっ」

 嗚咽がひどく、体を支えきれずに地面に手をついて羽織をかき寄せた。涙がこぼれ落ちては地面を湿らせる。背を丸めて地面の上でうずくまった。喉が塩っからくて、地面についたむき出しの膝が砂利で痛い。

「ひうっ、ぅ、うぇっ、うえぇ」

 今まで我慢してきた、抑えきれない感情が堰を切ったようにあふれ出してきて、涙と鼻水と泣き声でもう頭の中が滅茶苦茶だった。自分のことなのに、自分じゃもうコントロールできない。どうして涙が出てくるのかもわからない。思い通りにならないから泣いているのか、兄が恋しくて泣いているのか、どっちにしろ子どもだ。傷つけられたわけでもないのに、勝手に傷ついたつもりになって、自分がかわいそうで泣いているのだ。まるで小さな子どもだと、そうとわかっているのに、泣くのを止められなかった。
 うずくまる肩を抱かれ、強引に体を引きずり起こされる。よろめく体を腕で支えられながら、涙でぐしゃぐしゃの顔で山羊の頭を見た。

「何がそんなに悲しい」

 斧神に顔を覗き込まれ、汗で湿った髪を指でかき分けられる。目尻からこぼれる涙を親指がぬぐった。その触れ方がいやに控えめで、つらくて、斧神の腕から逃れようと身をよじった。その体を強く抱きすくめられる。山羊の鼻先が俺の頬を擦った。こすられた場所を涙の跡がひいた。

「泣くな」
「うっ、うぅー…」

 「お前の泣き顔は、こたえる」そう言って、斧神が俺の頭に手のひらをのせた。骨ばって丈夫そうな、たくましくゴツゴツとした手が兄とは少し違っていて、それでもその手が寂しさでどうにかなりそうな心に甘い砂糖水みたいに沁み渡っていくのを感じる。空っぽになった場所を埋めたくて、すがりつくようにして斧神の体に腕を回した。太い腕がその倍の力で抱き返してくる。

 情やなさけが甘えであることもわかっているし、この島では命取りになるそれらを捨てろと教えてくれたのもあの師と兄だ。確かにそうであるべきだと思い、努めてその姿勢を示し、貫こうとしてきた。それがどれだけつらくとも、難しくとも、達成しなければならない目標とたどり着かなければならない目的地を決めたのは、他でもない自分自身だ。人前で弱音を吐くことだけはしないよう、努めてきたつもりだった。
 そうしなければ、俺はここで生き残ることができなかった。

 羽織を羽織っただけの体を斧神に抱きかかえられると、くたりと全身から力が抜けた。泣き疲れ、思考にもやがかかったみたく、頭がぼうっとしていた。斧神の腕に体を預け、運ばれるまま二人で門をくぐった。あたりはとっぷりと暮れて、完全なる夜が訪れている。
 斧神が玄関の敷居をまたぐ前に、視界の端に見えたものにふと視線をやると、門の内側、すぐ横に斧が投げ出してあった。家の窓からの明かりに照らされて、無造作に置かれた巨大斧の刃が光っている。

「どこに行ったかと」

 斧神が呟いた。家の中に連れて入られるまで、その斧の刃の鋭さをぼんやりと見続けていた。頬を撫でていく風が先ほどよりもやや涼しくて、それも斧神が玄関の扉を閉めるとなくなった。

 その晩、夢をみた。

 夢の中で、俺は田んぼの真ん中に立ち、朝日が山の陰から顔を出すのを眺めていた。剥ぎ取られたはずの、本土から着てきた自分の衣服を着用していて、手には刀を握っていた。隣には知らない顔をした男がいて、その男と俺がとても親しい間柄だということが、二人の間に漂う空気からなんとなくわかった。高い場所を何羽かの鳥が飛んでいた。眩しい朝日が真っ白に輝いて、田んぼや農道の上にまっすぐに伸びる光線を放ち、世界の何もかもが非常にゆっくりと澄んだ光に照らし出されていくのを、二人で眺めていた。
 男が振り返って、俺の顔を見る。両目が細く眇められ、俺はその目や、笑い方を、どこかで見たことがあるような気がしている。男が何かを言った。その言葉を覚えていられずに、すぐに忘れる。
 男が俺から視線を外し、また朝日の方へと顔を向ける。今度は俺が、男の横顔を見つめる。ただ幸福で、寒い日に湯に浸かっているかのように、安らかな気分で、心地がよかった。長くこの時間が続けばいいと、夢の中で感じていた。

 翌朝、日の出過ぎに目を覚ました。たった今誰かに呼ばれたかのように自然と目が開いた。すぐには起き上がらずに、しばらく布団の中でじっとしていた。
 あれだけ夜に盛んに鳴いていた虫の声も、なんの音もしない、静かな朝だった。寝室の窓から見える外の空が暗い夜の名残を打ち消していくように、うっすらと明るくなり始めている。もう少しすれば鳥の鳴き声がし始めるだろうが、まだ早い時間だった。涼しさを通り越して、少し肌寒い。
 寝返りをうった。敷いた布団の近くに、膝を立てて座った状態で斧神が眠っていた。山羊のかぶり物を身につけたまま、壁に寄りかかった体勢で呼吸に胸を上下させている。
 部屋は薄暗く、窓を閉めているせいで空気がこもっている感じがしたが、それでも空気からは朝の澄んだ匂いがした。耳をすませると、穏やかな複数の寝息が聞こえた。屈強な体に似つかわしくない、分身達のささやかな寝息だ。昨晩は泊まったようだった。
 枕の上にのった頭を動かさず、どこを見るともなく、ただ斧神の全身を見つめ続けた。かなりの時間、そうしていた。退屈しなかった。

「……」

 いつか鳥の鳴き声がし始め、斧神が目を覚ましたのがわかった。

「はよ」
「…」

 うつむいていた山羊の頭をわずかに持ち上げ、斧神がこちらを見た。感情のない瞳が俺の方に向けられ、そのかぶり物を見返しながら、斧神の気配が静かに、でも急速に目覚めていくのを感じていた。

「…夢をみた」

 斧神が片膝を伸ばした。バキリ、と関節が鳴った。

「……どんな?」

 自分の手を開いたり、閉じたりしながら、斧神が寝床の中にいる俺を眺める。まだみていた夢の続きをたどっているのがわかった。
 ごそごそと体を動かし、起き上がって布団から抜け出る。四つん這いの体勢で進み、斧神の膝に片手を置いた。斧神は何も言わない。

「斧神」

 無骨な手が伸びて、俺の首筋に触れた。そうするのが自然だとも言える動きで、ぎこちなさのかけらもない慣れた手つきだった。黒山羊の頭を見上げた。何かを考えている様子で、斧神が俺の顔を真正面から見た。

「何故泣いていたんだ」

 大きな手のひらがゆっくりと首筋を撫でた。その手の上から手のひらを乗せた。斧神の温度が、肌を通して体に浸透する。

「……べつに。たいしたことじゃない」
「それでもいい」
「…」

 耳の裏側を硬い指先でこすられ、背中がぞわぞわした。夜の触り方に似ているのは、絶対にわざとのはずだ。かぶり物の下から発せられる、斧神の強い視線を感じた。抵抗の意思を示したく、目をそらした。
 山羊の頭が首を傾げたのが視界の端で見えた。俺は畳の目を見下ろした。変に動悸が激しく、表情を動かさないように努めた。
 くぐもった、かすかなため息が聞こえた気がして、顔の向きを戻して斧神を見た。直後、斧神の指が耳の穴をかすめた。思わず「あ」と声が出た。呆れた、といったふうのため息じゃなかった。

「や、やめろ、馬鹿」

 奇妙な笑い声が兜の下から響いた。分身たちの声に違いない。頬が熱い。

「隠しごとをする気か」
「違うって。変な触り方するな」

 骨ばった太い指が耳朶をこねるようにして弄ぶのに、身をよじり、上から重ねていた手で斧神の手を離させようとした。指が耳の穴の入り口付近をまたこすった。思わず脇が締まる。
 手遊びを続けながら、斧神が片手で器用に兜を脱いだ。崩れた頭部があらわになり、一斉に同じ動きでこちらを見た分身達と目があう。一晩の間に蒸れた頭部から、一段と濃く斧神の体臭が臭った。起き抜けのその匂いを嗅ぐと、頭の中がクラクラした。
 慌てて親友の呼び名を呼んだ。シャツの中に手を差し入れようとする斧神の腕を両手で掴んだ。

「朝っぱらから、何考えてやがる。ふざけんな」
「お前がその気にさせる」
「させてない。手を入れるな」

 話している最中から太い腕に抱き寄せられる。「おい」声に焦りが出た。斧神の両足の間に引きずり込まれ、よく鍛えられた頑健な体が背中に押しつけられる。化け物じみたいくつもの息遣いを背後に聞きながら、幾度も声をかけた。後ろから伸びてきた斧神の両手が構わずに俺の体を触った。
 斧を握る為にまめを潰し続けたのだろう、硬い手のひらが腹の上を這い、段々と上へと移動してくる。体をくねらせて、Tシャツの中を這う手を上から引っ掻いた。平たい胸を、まるで女の乳房のように斧神が下から揉んだ。激しく鳴る心臓の真上に手のひらがくる。

「何を隠しているのかは知らんが」

 胸の突起を指先でくすぐられ、ぐり、と押し潰される。背中が反り、喉が鳴った。震える手で顔の右半分を覆った。

「懸命に何かを隠そうとする、お前の姿はいい」
「変態め…ッ」
「好きに言え」

 耳元で囁かれると、股間がひどく疼いた。
 窓の外の空が白み始めており、朝がもうすぐそこまで来ているのに、部屋の中には性の空気が充満していて息苦しいぐらいだった。尻に押しつけられる質量のある硬さから、斧神が欲情しているのがわかる。熱い吐息がこぼれた。寝間着代わりのズボンの中が窮屈で、早く刺激が欲しいと主張している。
 たくましい腕に拘束され、密着した体勢で、何度も体を揺すられた。交わっているように錯覚する動きに、意識せずとも声が出た。斧神がさらに固く俺の体を抱き込む。

「あっ…あっ…くそッ…ン…」

 体を揺さぶりつつ、斧神の手が俺のズボンをずり下ろしていく。充血して勃ち上がった自身が下着の前を湿らせているのがわかった。トランクスのすき間から、骨ばった手が侵入し、柔らかい足の付け根部分をなぞった。つたい落ちる先走りを指先で掬われ、たまらず斧神の手を足で挟み、股をすり合わせた。
 首に手を回され、斧神が俺を振り向かせる。大きく縦に割れたグロテスクな口が眼前にあった。肩越しに粘ついたキスをした。くっつきあう間から、ぬちゃ、と濡れた音がもれる。

「そそるな」

 斧神の頭部に手をやり、もう片方の手を俺の股間を弄る大きな手に重ねた。重ねた手に力を入れて、先走りでぬるついた自身を斧神の手ごと上から押さえると、下着の中で濡れた亀頭がにゅるりと逃げた。斧神が低く笑った。
 キスをしながら、二人分の手で一つの陰茎を下着の上からこすりあげる。

「あっ、あぁ、あ」

 手の動きを止めないまま、斧神が体を揺さぶる。互いの息が荒く、上から垂れてくる唾液で顔じゅうがべたつく。体勢を変え、向かい合ってキスをした。頭部の真ん中にある大きな眼と見つめ合い、しつこく口づけを交わした。
 この時間、すべての問題が快感で溶かされていく。

「ん、っ、ん」

 中心の大きな眼が斜めに細くなる。普段の男からは想像もできないいやらしい目つきで、斧神がこっちを見た。

 お互いが一回ずつ達した後も熱がおさまらず、淫らな考えが頭から離れてくれない。斧神が汚れた俺の下着を脱がし、強引な手つきで股を閉じさせた。男の意図を察した俺も、畳の上に体を横たえ、裸の下半身を斧神の手に委ねる。斧神の手が内股に触れると、自分の吐き出す息が震える気がした。達したことでなおさら敏感になった身体が軽い痙攣を起こしていた。
 精液でぬめる腿の間に、早くも上向きになり始めた巨大な陰茎の先端が切っ先のように押し当てられる。精の残りを垂らす柔らかい先端部分が、腿の裏側の筋肉をこすった。その感触に足の裏がゾワゾワする。待ち構えるために股をきつく締めた。斧神の五指に力が入る。
 雄が押し入ってくると、全身の毛が逆立つようだった。

「熱っ…」

 俺のものとは明らかに違いすぎる質量と大きさが、腿の肉を重たく押し上げ、固く閉じた股の間にうねるように侵入してくる。お互いの出した精液が潤滑油代わりだった。俺の腰を両手でつかみ、斧神が前かがみになった。誰の息が荒いのかがわからなかった。
 斧神が動き始めると、もう声がまともに抑えられなかった。先端から竿にかけてが玉袋を押しのけ、一気に俺の陰茎までもを凶暴な雄が下から擦り上げる。柔らかい内腿を何度も何度も、繰り返し乱暴に突かれた。その度に尻の穴から陰茎の間、全部を熱い肉棒が擦っていくのが、もうたまらなく気持ちがいい。

「ーーッ」

 のしかかるようにして抱きしめられ、斧神が腰を前後に激しく動かす度に身体が大きく揺さぶられた。揺さぶられる動きにつられて、あからさまな声が口からこぼれる。声を抑えようと口を閉じても、斧神が狙いすましたような腰の振り方をする。

「やめろ、それ、やっ、あン、ぁっ」
「こんな時間から、その声が聞けるのは、たまらんな」
「クソ…っ、ンッ、あッ、あぁっ…」

 熱い性器を濡れた股間に擦りつけられていると、そのことしか考えられなくなってくる。頭の中が快楽でいっぱいになり、次第に生理的な涙が出てくる。口汚なさとは反対に、腹の奥がきゅうきゅうと甘く疼いてしかたがなかった。赤く充血した巨大な陰茎が、自分の股の間から何度もしつこく出入りを繰り返している様が非常にグロテスクで、これをされると毎回異常なほど興奮した。
 快感と斧神の激しさに、足を閉じていられず、徐々に締める力が弱まってくる。それを見越したように、斧神が律動のペースを速めた。

「やっ、嫌だ、ぁ、はやいぃ…」

 荒い息遣いが耳元で聞こえる。粘ついた水音がうるさくて、息苦しくて、めまいがした。大きく開いた縦割れの口から垂れ落ちてきた唾液が、首元に落ちて、肩の方へと流れ落ちていく。その感触にぶるりと震えた。口を開けると、唾液が口内で糸になっているのが自分でわかるくらいに、口の中が乾いて粘ついていた。そこに斧神が勢いよくかぶりついた。
 性器が溶けそうなほどに、与えられる快感が大きく、濃厚で、これはまずいと知っていてそれでも癖になってしまう。わかっているのは、誰とでもこうはいかないということだ。
 よだれでぐちゃぐちゃになりながら、夢中で深い口づけをし合う。キスと形容できるものではなかった。唇の奪い合いか、獣の噛みつきのようだった。ぶ厚い舌の先が口の中を舐めまわし、歯列の裏をこすっては弄ぶ。その間も腿に挟んだ陰茎を前後に抜き挿しされ続け、からだの中でのたうちまわる快感の渦が、男の動きによって高められていく。震える腰に力が入らなかった。尻の穴を硬い肉棒の先が音を立ててしつこく突いてくることに、根源的な恐怖を感じ、無意識に「やめろ」を繰り返した。言いながらよだれを垂らして身悶えした。

「こんな小さな穴に、はいるものか」

 その言葉とは反対に、猛る巨大な陰茎が執拗に尻を突いては、太ももの肉をかき分け擬似的な穴へと侵入する。揺すられる両足がぶるぶると震えていた。絶頂までが近かった。
 涙でにじむ視界で至近距離からのしかかる斧神を見た。唇が痺れて、斧神の唾液の味が口の中に残っていた。体じゅうの力が抜け、弛緩しきっていた。他人の前で、ここまで無防備な状態を見せるのはほぼ初めてだった。この島に来てからたえず張り続けていた緊張の糸が、張り詰めた感覚が、どろどろに溶かされてなくなっていくようだった。目の前の男によってそれが行われているという事実が、魂を揺さぶる。
 斧神の両腕がひときわ強い力で、俺を抱きしめた。大きさの違う体と体がくっついて、触れた場所が全部熱い。

「そんな目で、見るな」
「だって、だってさ、なあ」

 緩やかに溢れ出す涙が、斧神の肩を濡らし、口にも入った。しょっぱくて、目薬のように軽いそれが、この親友との生活の象徴だった。
 斧神がかすれた声で言った。

「俺には、お前をもらってやれん」

 言い終わる前から、抱き合った体勢のまま、斧神が押しつけるようにして腰を動かす。肉がぶつかる音がしないほどに、内側を何回も、何回も擦り上げる。
 反論したくとも、声が出なかった。

「…ッ、……ぅ」

 体重をかけられ、全身が痙攣した。

「ぐっ…う…ぉ…」

 俺につられて、斧神も強い快感に腰を震わせた。膨れ上がった陰茎をずるりと引かれ、喘いだ。俺の腿に挟んだ状態で、斧神も達した。
 熱い精が勢いよく、敏感になっている下半身に放たれる。

 男の下生えが直接肌に触れ、ぞり、と硬い毛が当たる感触があった。口に溜まった唾液を飲むことさえ億劫で、起き上がると同時に口から唾液がこぼれた。伸びてきた手があごに添えられ、垂れたよだれをぬぐった。ぬぐわれる間、目を閉じている。
 顔を上げたら、朝が来ていた。

 特徴的な香りに誘われ、風呂上がりの濡れた頭で庭に出てみた。
 香りの元はすぐに見つかった。庭の入口近くに植えてある金木犀がいつの間にやら花をつけていた。
 小さな花の集まりにそっと触れると、ポロリと花がひとかけら地面に落ちた。屈んでその花をひろった。
 本土にいた頃は、この匂いを嗅ぐと自然と顔がほころんだ。ああ、秋が来たんだな、と思うことができた。手の上の花を指先で転がした。午後のまどろむような陽の下、トロトロとした時間の中で、時が巻き戻らないかと一人小さな花を握りしめた。表情筋が全く動かず、むしろなんだか、無性に泣きたい気分だった。

 兄貴が再び姿を現したのはそれから十日後のことだった。斧神が家から出て行って、まだ数分も経っていなかった。

 斧神の姿を見送った後、そのままの流れで玄関前の掃き掃除を始めた。下駄箱の横に立てかけてあった箒で、三和土の砂を掃き集める。日差しがまだ強い時間帯もあるが、日中の空気が涼しくなり、立木の葉の色も徐々に変わってきていることから、もうすぐ秋がやってこようとしていることを実感する。ちりとりで集めた砂やちりを外に捨てようと玄関の敷居をまたいだ。捨てて戻ってくると、家の中の廊下に兄貴が立っていた。
 ちりとりを手から落とした。

「ここで嫁にでもなるつもりか」

 兄貴が言った。俺は黙って腰を曲げて、ちりとりを拾った。
 玄関や居間の縁側から入ってくる外の光で廊下は電気を点けなくとも明るく、兄貴の存在はその中でくっきりと目立って異物だった。腰に一振りの刀を下げ、前回見た姿とあまり変わっておらず、ただ今日はマスクを着用していた。顔の表情がうまくわからず、眼鏡の奥の目が俺を見て細められていた。笑みを浮かべているわけではないことぐらいはわかった。

「馬鹿なこと言うなよ」

 三和土に立ったまま、箒を下駄箱に立てかけ、ちりとりを下駄箱の下に仕舞い込んだ。背後の開いた玄関から入り込んでくる空気が、秋の匂いを含んで一段と香ばしかった。外を一度確認し、後ろ手に玄関の戸を閉めた。
 靴を履いたまま廊下に上がっている兄の足もとを確認し、胸の中がざらついた。どうしてこんな態度になってしまうのかが、自分でもよくわからない。

「明」

 腕を掴まれ、敷台に立つ兄貴を下から見上げた。兄貴がすぐそばまで来ていた。息づかいが聞こえるほど近くで、手袋をはめた手から温度が直接肌に伝わってくる。

「行くぞ」

 有無を言わせない雰囲気で、兄貴が言った。それに対する答えを見出そうとしているうちに、兄貴が俺の腕を引いた。履いたサンダルの踵が土間に擦れる音がした。

「兄貴」

 俺の声に兄貴が振り向いたのと、廊下に場違いな音が鳴り響いたのはほぼ同時のタイミングだった。

 兄貴が音の元を探す数秒の間に、俺は廊下のある一か所を凝視し続けていた。兄貴が俺の視線をたどって、同じ方向に目を向ける。廊下の途中、壁と同化するようにして据え置かれた木棚の上の黒電話が、けたたましい音で鳴っているのだった。
 俺がこの家に連れてこられてからその黒電話が鳴ったことは一度もなかった。何十年も前から存在しているかのような古ぼけた電話で、家の中の風景の一部と化していて、今の今まで、それが実際に使えるということすら知らなかった。斧神が使うところも見たことがなかった。
 その電話が、今、鳴っている。
 兄貴が俺の手を離した。俺を見下ろして、何か言いたそうな顔をした。俺も兄貴を見上げた。一瞬、二人が途方に暮れた。
 音が鳴り止む様子はなかった。兄貴を手で押しとどめ、サンダルを脱ぎ捨てた。裸足で廊下を進む。躊躇わず黒電話の重たい受話器を持ち上げた。

 受話器を耳に押し当てても、電話の向こう側は無音だった。けれど絶対にそこに誰かがいることがわかる沈黙だった。

「…もしもし」

 兄貴が玄関の方から俺を見ていた。何気ない感じで刀の柄に手を置いているが、気配がぴんとして、表情がこわばって硬かった。人ん家で兄弟揃って、一体何をやっているんだろう、と思ったら奇妙な感覚だった。その様子を見つめながら、再度受話器に呼びかけた。

「もしもし」
「お前が出ると思ったよ」

 雅の声だった。
 受話器を握りしめた。その一言で、すべて知られていることがわかってしまった。
 顔色が変わった俺のそばへ、兄貴が足音もなく近寄ってくる。兄貴の顔を見上げた。視線が交錯する。

「出るも何も、俺しかいないんだから、当たり前だろ」
「下手な芝居をするな。得意でもないだろう」
「…何?」
「そこにいるお前の兄にかわれ」

 喉を詰まらせた。電話の向こうで、雅が静かに待っている。逡巡する俺に対し、兄貴が黙って片手を差し出した。眼鏡の奥の目が、自分が話すと言っている。どの人物が電話機の向こう側にいるのか、とうに気がついているようだった。
 受話器を渡すと、兄貴が受話器を持った手とは反対の手を振りかぶった。それが俺に向けて振り下ろされたことを認識する前に、廊下の床に倒れていた。

「かわりました」

 床に這いつくばっている状況がわからず、頭がぐらぐらした。起き上がろうとしても、体どころか手首さえ満足に動かせない。声を出そうとすると、頭がぐらぐらする感じがもっと強くなった。

「……、……」

 兄貴と雅の会話の一方だけ聞きながら、片手で受話器を耳に押し当てる兄の立ち姿を見上げていた。電話のためにマスクを指であごまで下ろしていて、口の端からは鋭い牙が覗いていた。その時になってやっと、兄が刀を一振りしか持ってこなかった理由に気がついた。
 兄貴が床に転がる俺を見下ろした。

 斧神の姿が思い浮かび、痛む頭で、あの男は金木犀の香りに気がついただろうかと思った。きっともう、そろそろ散ってしまう。感じた変化を聞きたがる男なのに、知らせることをすっかり忘れていた。

 頭がいたい。

2016.10.4